『☆#%◎※…』

あくまで一ファンの独り言です。

語彙力の無い私が錦戸亮くんに感謝の気持ちを伝えた結果

 

 

 

ふと書きたかったことが湧いてきたので書きます。

 

私が関ジャニ∞を好きになってから約7年半が経ちました。大した長さじゃありません。今までもこれからもドがつく新規です。

さらに私は、初めから一途に錦戸くんを見つめてきたわけではありません。いわゆる担替えってやつです。最初は大倉くんでした。変わった境目は然程はっきりしておらず、なんとなく変わって5年ぐらいなのかな〜って感じです。多分。

変わったばかりの頃に比べれば、今の方があの頃の数億倍、錦戸くんを大好きになりました。これは確信を持って言えます。想いの大きさを測る道具なんて存在しないし、実際どれぐらいなんて言えないですが、1日1日時間が進むたびに錦戸くんを大好きな気持ちは大きくなっている気がします。

 

「おはよう!今日も錦戸くんがどこかで輝く1日がやってきた!」

 

って思いますし、

 

「おやすみ、今日もきっと錦戸くんが1日素敵な日でした」

 

って思います。本当に。

誰に何を思われてもいいけど、私はそう思わずにはいられないし、きっとそれは事実です。だって錦戸くんは私の中で何よりも輝いてるから。

なんていう話は全然書きたかった大事なことではないんですけど、まあ今のわたしの錦戸くんに対する価値はこんなもんなんだっていうのは理解していただけたかと思います。

 

書きたかったことっていうのは、大袈裟に言うと“ファンの在り方”についてですかね。

7年半前はまだ小学生で、ただただ格好良すぎて悩んだり、好きすぎて自分の将来が不安になったり(今もそう)、単純にそうやってファンを楽しんでたのですが、年を重ねるにつれてこういう事すら考えるようになってしまいました。

本当に大袈裟な言い方ですが!まあ大きく見てこういう事なのかなって思って、そんな言い方してみただけです。

 

 

アイドルとファンの関係性は、

『応援される人』と『応援する人』

世間一般的に見て、ファンがアイドルを支えているような認識になっているかと思います。支えるなんてそんな大それた言い方はできませんが、私もその立場にいるつもりでした。

でも実際はそうじゃなくて、いつだって私は、錦戸亮という人と関ジャニ∞に支えられて生きていたんだと、あるとき気付いたのです。賛否両論を生んだ、あの元気が出るLIVEの映像を見てそれを痛感しました。

まるで本編を指すような言い方ですが、私が言いたいのは特典の方です。約1時間のメイキングの一番最後、元気が出るSONGの歌い終わりで、『EIGHT + ONE = ∞』の文字と共に流れる錦戸くんの声。

 

明日からも頑張れるぜー!っていう人!!!!

何よりです!!!!!!

 

 初めてこのメイキングを見たとき、声を出して泣きました。

このDVDが出た頃、ちょうど一人暮らしを始めたばかりで、思い描いていた自分に到底及ばず一番苦しい時期でした。本当に実家に帰りたくて、毎日しんどくてたまらなくて。そんな苦しい時に聞いたこの言葉は、痛いくらい私の胸に刺さって涙が止まりませんでした。他のどの6人でもなく、錦戸くんが言ったから尚更胸に来るものがあったんだと思います。

錦戸くんのこの言葉のお陰で、「ここで諦めるのは早すぎる、明日からも頑張らなきゃ」と自分を持ち直すことが出来ました。あの日、私の中で錦戸亮という人がどれほど心の支えになっていたかを、ようやく気付かされました。

 

思えば、いつ何時のモチベーションを上げるにも彼らが絡んでいました。

「今日の夜はドラマ、出演番組がある」

「今日乗り越えたら明日は新曲、DVDが出る」

「あと1週間頑張れば会いに行ける」

私の心にはいつも関ジャニ∞が寄り添ってくれていました。

 

また大袈裟だとかめちゃめちゃ思いますよね。私も書いてて本当大袈裟に見えるよなって思ってます。でも事実だから。大袈裟でもなんでもなく、私の生きる糧だと胸を張って言えます。

最近なんか色々あるみたいで、Twitterではあまり良くない評価が見受けられるのですが…その人たちを批判するとかそういう事ではなくて、一個人として、

「どうあれ私は関ジャニ∞が好きなんだ」という結論に至りました。

だって疲れて帰ってきても自然と笑顔になれたり心が落ち着いたりするのってすごくない?その相手がたとえアイドルでも、そうしてくれるものがあるならそれで十分。私はそういう対象がない方がよっぽど辛いなって思います。当然お金も沢山かかっちゃうけど、作品や現場があるから毎日頑張って小銭も稼いでますし!

「こういうことを言ってるからきっとやめられないんだろうな~」と冷静になることもありますが、錦戸くんを眺めてセロトニン分泌しまくれる間はやめるつもりもさらさらありません。

 

私は錦戸くんを今日も心から好きだと言える自分が大好きだし、何より錦戸亮くんが大っっっっっっっっっっっっっ好きです!!!!!!!!!!!!!

 

 

P.S.

のどごしオールライトのCM、1回仕事終わりに見てください。

youtu.be

錦戸くんの眩しすぎる笑顔と優しい「おつかれさま」の声に、思わず見たあと6缶パック買いに走りますからね。絶対。私はまだ飲めませんがね。

私はこのCMを見る度に「むしろこっちがおつかれさまだよ(泣)」と毎回思いますし、たまに画面に「おつかれさま」と無意識に放っているときすらあります。

誹謗中傷は受け付けません。

圧倒的に私より疲れているはずなのに、キラキラとした笑顔で労を労ってくれている錦戸くんを見て労い返さないなんて選択肢無いです。

これを見た方も是非次からは労い返してあげてください。彼は今日も頑張っています。

 

 

あー、なんて脈絡も語彙力もない稚拙な文章なんだ…

 

 

 

同担拒否なりの苦悩

 

 

お気付きの通り、私は錦戸亮くんのファンです。

ジャニーズのファンの中にも様々な人がいます。

この文章はきっと多数の方に否定されるものだと思います。

私はすごく歪んでいるから。

誰かにそう言われたわけではなくて、自分でそう感じているだけです。

とはいえ、錦戸くんや事務所に迷惑がかかるようなことはしません。

錦戸くんを困らせたくはないので。

 

 

私は錦戸亮くんが好きです。

そんな人は私だけじゃなく日本中で何万人、も、いるのかな?

詳しい数はわかりませんがとにかく沢山います。

でなきゃあんなにテレビだなんだと出てこないはずです。

錦戸くんのここが格好良い、錦戸くんのここが好きだ、こんなところが可愛い、

数年前までは私もいわゆる『同担』と呼ばれる方々とやり取りしてきました。

いつまでもそんな日々が続いていくんだと思っていました。

でも、オタク人生はそう甘くはありませんでした。

いつからか感じ始めた、拭えない違和感と嫌悪感。

 

私は『同担拒否』になりました。

 

最近こそ見かける回数がぐっと増えたような気もするこのワードですが、なかなか受け入れられ難い部類だと思います。

同じファン同士なのになぜ仲良くできないのだ、というごもっともな意見を持った方々が多いために拒否されてしまうのだと思います。

 

 

同担拒否になったばかりの頃は、ここぞとばかりに避けてきました。

以前はファンとの交流専用のアカウントも所持していたのですが、繋がりタグなるものには欠かさず『同担拒否』と記載してぶつからないように逃れてきました。

それでもRTしてくるやつの気が知れませんでした。

「『同担拒否』って書いてるやんけちゃんと読めや」と毎回思っていました。

(因みに筆者は関西人です)

 

 

ですが今年に入り、拒否なりに心境の変化が訪れました。

拒否を克服しようという気持ちが芽生えたのです。

自分でも嬉しい心変わりでした。

『同担拒否』に少し嫌気がさしていたから。

こんな心の狭い自分などぶん殴ってやりたい、殺してしまいたいと何度も思いました。

たかがジャニーズファン、されどジャニーズファン。

ファンはファンなりに悩みがあります。

全く関心のない第三者からすればちっぽけな悩みでしょう。

でも、そんなことに私は頭が捩れるほど悩んでいました。

だから素直に嬉しかった。

 

錦戸くんのファンの方のツイートにリプライを送り、数回やり取りしました。

でももう昔のようには戻れませんでした。

やり取りによってまた顔を覗かせた嫌悪感。

気付かないようにしようとしたけれど、私には無理でした。

 

 

何が私をこんな風にさせたのかは分かりません。

だってきっかけなんかなかったから。

強いて言うならば、錦戸くんに魅力がありすぎた。

 

錦戸くんのせいになどしたくない。

でも錦戸くんのせいで、錦戸くんが悪いんだと心の中で責めることもありました。

錦戸くん本当にごめんなさい。何も悪くないのに。

 

 

結局克服はできず、今も同担拒否が続いてしまっています。

ライブの際は、隣が錦戸くんファンにならないことだけをいつも祈っています。

団扇や衣服の色など、ファンを強調するもので把握しては睨みつけてしまいます。

嫌気がさす、心から。精神科にでも行くべきかとすら思います。

別に故意にやっているわけではありません。

どれも無意識にやってしまうから余計に嫌なのです。

傍から見たらすごく嫌な人間だから。

もっと優しい人になりたかった。

だけど人間の心はそうそう上手く出来ていないみたいです。

自分の意志が強くても、無理なものは無理だと知りました。

 

 

そんなに悩むなら錦戸くんのファンをやめればいいじゃないか、と思うかもしれません。

でも、ああもういいやファンやーめた、で終われるならこんなに苦労してません。

どう考えても、あんなに素敵で魅力的な錦戸くんから離れられる筈などない。

こんな事なら好きにならなければよかったとさえ思いました。

私の錦戸くんへの想いは、応援するというよりも恋をしている感情に近かった。

それに気付いてしまったことが何よりも嫌でした。

普通のファンには戻れなくなったことが辛くて仕方ありませんでした。

 

それでも錦戸くんをずっと見つめたいし応援していたい。

ファンをやめるという選択は私には到底できません。

 

 

2016年、誰よりも「罪なヤツ」なのは他でもない錦戸亮くんでした。

 

 

 

 

20160409 山下ぴーちゃん生誕31周年

 

 

今日は何の日ですか?

 

 

 

 

 

やまぴーこと山下智久くんの記念すべき31回目のお誕生日です!!!!!

 

といっても現在時刻23:42でありまして、このブログを書き終えるころにはもしかしたら4月10日になっているかもしれませんが…

現在時刻は0:11、4月10日になってしまいました。

 

今年の誕生日はおセンチになることはありませんでした。30歳と31歳の違いはきっとそんなにないんでしょうね、私の中で。

 

実は去年の山下くんの誕生日はあまり嬉しい気持ちにはなれませんでした。

やはり三十路の壁は大きい…

 

去年の4月8日まで私の中の山下智久は永遠の26歳でした(中途半端)

26歳というところに深いこだわりはないのですが、とにかく彼は永遠に20代であり、三十路を迎えることは一生ないぐらいの気持ちでありました。

そんなわけはありません。だって山下くんも一人の人間だもの(©相田みつを)

でも、なんとなくずっとそんな考えが当たり前になっていて、だから4月9日0時ぴったりになったとき、絶望ともいうべき感情を抱きました。だって永遠の20代だと思っていたあの山下くんですら30歳になってしまったのだから。

時の流れは早いものだと痛感すると同時に、あの端正な顔立ちの完璧な人類のキセキ山下智久が30歳って…

WSに表示されるのも山下智久(30)になってしまうなんて…

 

その日のみならまだしも、私はこの思いを約4ヶ月ほど引きずっていました。我ながら長すぎますよね、それにそんなに引きずる事案でもないのだからなおさら長い。今思えばなんて馬鹿だったんだと自分で恥ずかしくなります。

ずっと心の中に棲んでいたこの考えが消えたのはネプリーグのおかげです。

『5時から9時まで』の主演が決まり、番宣もかねての出演でした。地域の関係上、私の住んでいる場所では山下くんのレギュラー番組の放送はなく、滅多にバラエティではお見かけしなくなっていたのですが、久しぶりに見たバラエティでの彼はとてつもなく大人になっていました。私はそれに衝撃を受けました。「あれ?やまぴってこんなにも良い返しができる子だったかしら?(おい)」と一人で感心しながら釘付けになっていました。

 

その時、山下くんが30歳になったことを思い出しました。

彼が年相応に成長していることを十分すぎるほど感じました。

私が認める認めないはさておき、もうやまぴは三十路なんだと悟りました。

 

それからは今までのような思いも消え、新たな気持ちで30代に突入した彼を素直に応援することが出来ています。今年も「は!もう31歳になってしまう…!!」という思いはなかったわけではありませんが、早々と31歳の彼を受け入れています。30歳も31歳も大差ありません。

心から、31歳になった彼をお祝いしています。

 

おめでとうやまぴー、幸せな31歳をお過ごしください。

 

 

なんでもいいファンとそうじゃないファン

 

 

「 錦戸くんならなんでもいい! 」

『 なんでもいいわけではありません 』

 

全国の錦戸くんファンはこの二択にしか分かれないと思います。

というか、錦戸くんファンに限らず、アイドル、俳優、芸人、誰のファンでもそうだと思うのですが…

 

この「なんでもいい」の「なんでも」の基準も人それぞれだと思うのです。

ちなみに私は、全てなんでもいい派にいつの間にか転身していました。

 

あ、先にこれだけは言っておきます。

これは、なんでもいい訳ではない人を否定している文章ではさらさらありません!

錦戸くんのファンの中でも人の意見は十人十色、それぞれの思いがあって当然です。

個人的に思ったことを書いているだけですので悪しからず。

 

話は戻りますが、何でもいいわけではない場合、大まかには

  • ビジュアル
  • 行動
  • 言動

この3つにカテゴリー分けされているのかな、と自分では思っています。

その辺は実際そう思っている人の意見を一度聞いてみたいものです。

 

私自身、なんでもいい派に転身したと書きましたが、昔はゴリゴリの顔ファンでありました(恐らく)

本腰を入れて応援し始めたのは関ジャニ∞が初めてでありまして、出会いは小学6年生の頃、しかもその当時は大倉くんに惹かれていました。

寧ろ関ジャニ∞よりも大倉くんにしか興味がないというような極端なスタンスでした。

大倉くんを好きな気持ちは日に日に増していくのですが、自分の中でストライクな大倉くんでないとあまり見たくないという思いが強かったように感じます。その頃は今のようにSNSなどもしていなかったので、知識などもなく何も感じていませんでしたが、今思えばあれは完全に典型的な顔ファンです。これが、なんでもいいわけではない頃の私です。

こう書くと、顔ファンではいけないという風に取られてしまうかもしれませんが、決してそういうわけではありません。ジャニーズは顔が良くてなんぼです。私だって顔が良くて好きになったんですもの。今だって、錦戸くんの顔が良いから好きなんです。勿論それだけじゃありませんけどね!

ビジュアル面でなんでもよくないと仰るファンの方はきっとこういう事なのではないでしょうか。あくまでも私の個人的意見です。怒らないでください。ただ、昔の私は実際こうだったというだけのお話です。

 

行動に関しては、あれでしょうか、信じるか信じないかはあなた次第な準レギュラー化していた某週刊誌に載るようなあれでしょうか。あれに載るような彼は嫌いだということなのかな?それ以外彼の行動の問題点は私には思いつきません。

私は彼がいくら週刊誌に載ろうが特に何も感じていませんでした。寧ろそれを喜んだ時も無きにしも非ず…

彼に悪いイメージを定着させたいとかそういう思いではなくて、ただただ彼も一人の男の子なんだなあとそれを目にするたび素直に感じられたのが心地よかったのだと思います。キラキラとした THE アイドル のようなそれよりも、どちらかというとそういうリアルな部分を求めていたような気がします。

でも中にはアイドルとしての彼を愛し、嘘か本当か分からない記事を頑なに拒む人だっています。当たり前の事です。むしろ私がおかしいぐらいです。何も感じないにしても、それを喜ぶのは確実に間違っています。

ただ、いつだって「体を壊さないように」という事だけは切に願っていました。逆に言えば、体さえ壊さなければプライベートぐらい好きにしたらいいんじゃない、と見逃しているタイプの人間でしたし、今もそんな気持ちで見ています。

ちなみに、昨年秋ごろに約1年ぶりに掲載されていた彼は、ごめんね青春!で共演した半田くんとその他お友達と、男同士で仲良く飲みに行っていたという何とも平和で芸能人らしい内容でありました。それをコンビニで立ち読みした私は、「落ち着いたなあ」と母のような目でその記事を見つめ、静かに雑誌を閉じました。(何様なんだ)

 

あとは言動でしょうか。言動に関しては正直何も問題点が思いつきません。ですがこの点で彼に違和感を覚える方もきっといるのでしょう。強いてあげるならば、誤解を恐れずなんでもストレートに言うところとかですかね?ストレートに言いすぎるが故に、それによって誤解し悲しんだり落ち込んだりする人もいるのかな、きっと。

私は回りくどくオブラートに包んで言うより、ストレートに言ってくれた方が理解しやすいし有難いなと感じる身です。多分それは自分がそういう性格だからなのだと思いますが… 違うと思ったことは遠慮なく違うと言いたいですもの。優しさに溢れた子なら、錦戸くんの言い方をきつく感じるのかも、いやほんとにわからないけど!(笑)

言動って難しいよね、活字で見るのと実際話してるのとじゃニュアンスが違うし、取り方も人それぞれだからなあ、、、

 

ここまで長々と書いてきましたが、なんでもいいわけではないという思いは私も最近まで引きずっていました。錦戸くんを本格的に見つめ応援するようになってからは、だいぶ薄れてきてはいましたが、ビジュアル面に関してはどうしても文句をなくすことが出来ないでいました。まあなくそうと思っていたわけではありませんが…(笑)3年ほど前から急激に前髪を上げる頻度が高くなった彼に対して、毎度毎度「前髪を下ろしてくれ」という届かぬ懇願を繰り返していました。ですが、諦めたわけでもなんでもなく、ある時からふとそのような願いがなくなりました。勿論どちらかと言えば前髪のある彼の方が好きです。多数派には変わりありません。でも正直今は本当にどちらでもいいです。なんでもいいです。なんっでもいいです。錦戸くんであればそれでいい、その思いが一番強いです。興味がなくなったとか全くそういう意味ではありません。むしろ錦戸亮くんに対する興味は深まるばかりです。四六時中彼の事を考えているぐらいです。何でもいいから元気でいて、ただそれだけです。

なんでもいいわけではないファンの方の「これはダメだ」と思う部分って何だろう、、ぜひとも知りたい、、、

 

 

あ、でも坊主になるのだけはいやだなあ。

 

 

 

錦戸くんの笑いのポテンシャル

 

ブログのプロフィールを見てもわかるように、私は錦戸亮くんが好きです。途轍もなく好きです。むしろ好きでは言い表せません。

でもここ最近、特にアルバムの特典DVDに収録されている夏休みを見てから、彼の笑いに対するポテンシャルの低さを痛感しています。

 

それを感じた部分は、丸山くんとすばるくんの「言葉遊び」のくだりでのこと。

それまではノリノリになって、気に入った言葉を拾ってはそれを連呼する、というご機嫌な様子を見せていた二人ですが、錦戸くんが言った言葉には全く触れることなく、突然の静まり返る空気に見ているこちらが居た堪れない気持ちになるシーンでありました。

錦戸くん本人がスベったという風に思っているかどうかは私にはわかりませんが、少なくとも私は、あの瞬間彼がスベったと瞬時に察知し、悲しくなりました。どうして二人は、彼のあの高ぶった「夏休み」の一言に乗ってあげなかったのでしょうか。

彼はもともと面白い方ではないと思っていましたが、ここまでわかりやすくスベったところを見たのは恐らく初めてでした。私は思いの外ダメージを受けました。

 

錦戸くんは芸人ではありません。彼の職業はキラキラ輝くアイドルです。それでも、関ジャニ∞である以上他のアイドルより幾分か面白さを求められてしまいます。

ある番組で、芸人の方が

関ジャニ∞はジャニーズの分校だ

と仰っていました。

そのような扱いが嫌だという風には私は思いませんが、周りからそう言われてしまうと、「面白くしなければいけない」というプレッシャーも生まれるはずです。でも錦戸くんには笑いの才能が備わっていません。天は二物を与えなかったのです。

錦戸くんにも笑いのチャンスがない訳ではありません。ただ彼は、そのチャンスを物にできなかった、それだけのことです。別に笑いを学んでほしいとも思っていません。

 

でも、一つ声を大にして言いたいことがあります。

彼は何のために吉本新喜劇を毎週録画にしているのか。

毎週多くの人を笑いで溢れさせる単純明快な吉本新喜劇を、毎週録画にするほど愛してやまないはずなのに、どうしていつまで経っても彼には笑いの才能が備わる気配がないのでしょうか。一種の娯楽として見るものであり、勉強しようという気で視聴しているとは考え難いので、これは当然の結果かもしれません。とはいえ少しは面白くなりそうなはずなのに…

 

彼の面白くなさは、最新シングル『侍唄』でも伺えます。

気になる方は通常盤の最後に収録されている隠しトラックを聴いてみてください。

彼が何を伝えたいのかが、3割ほどしか伝わってきません。

噛みすぎな上に面白くもなく、あまり聴きごたえのないコメントでした。

それでも、彼が一生懸命、楽しそうに、大好きなアーティストであり楽曲提供をしてくださったレキシさんについて語る声は、ファンにとってはたまらないプレゼントでした。その声を聴くだけで、その時の表情すら浮かんできました。結局私は、散々面白くないと罵っても彼のことが大好きで愛してやまないのです。

 

錦戸くんは、関ジャニ∞がここまで人気になる前から、NEWSのメンバーとしても活動し、2つのグループを掛け持ちしながら個人の活動も人一倍頑張ってきました。ドラマ、舞台、音楽など、活動の数が他の人よりも倍になることによって、彼の経験値も倍ずつ増えてきたはずです。ただ、彼にはバラエティに慣れるための経験が少なすぎた、それがポテンシャルの低さの原因です。関ジャニ∞としての冠番組も多からず持っていましたが、それはグループでの仕事であり、個人としてのバラエティ出演はゲスト出演ぐらいでした。バラエティ班は村上横山に任せればいい、錦戸は役者班でやらせればいい、などという錦戸くんとの線引きがこのような結果を生みました。

 

しかし、今春から始まった番組、関ジャム 完全燃SHOWで、ようやく彼のバラエティの勉強が始まったのです。もう今更いいじゃないかとも思うのですが、30歳を節目にして、事務所側が遅すぎるスタートを切ったのです。ほぼ未経験に等しいMCを番組初回から任され、一人たどたどしい進行を繰り広げてくれていました。その慣れない姿が笑いを呼び、そこそこな面白さになっていました。最近は少しずつ慣れてきたのか、たどたどしさも無くなり、普通に戻ってきてしまっていますが… いつ頃から一捻り加えだすか楽しみにしています。

 

錦戸くんの笑いは基本まぐれです。狙ったものは大体小笑いか中笑い程度です。彼の素直さゆえに出た刃物のような一言が笑いになったり、言葉を噛んで笑いが起きたり、殆どがまぐれです。私はそんな彼を愛していました。だからむしろ成長しないでほしいんです。スベってほしくはないけれど、みんなと同じぐらい面白くなってほしくもない。私はすごくわがままなことを錦戸くんに望んでいます。錦戸くんに多くを求めてはいけないとわかっていても、今以上を求めてしまうのがファンというもの。彼が健康でいてくれさえすればそれでいい筈なのに。でも、錦戸くんが今以上に自身を良くしたいと思っているのなら、これを取り入れるのが一番の方法だと思うんです。こんなふうに思っているのは私だけでしょうか?ここまで考えないにしても、錦戸くんのことを面白くないと思っている人は多数いる筈です。彼を好きすぎるがゆえに、こんな風に考えすぎてしまいます。

 

こんな事を言いながら、そろそろコミカルな役ではなくシリアスな役が来ないかと願っている私はどれだけわがままなんだろうか…

 

 

部外者の私が田口くんとKAT-TUNを語る

 

ベストアーティストで入口出口田口こと田口淳之介くんがKAT-TUNを脱退すると発表してから5日ほど経った今、部外者である私はすでに落ち着きを取り戻しています。正直、発表した当日、その翌日、翌々日ぐらいまでは、なんとなく言葉で表すことのできない謎のモヤモヤを感じていました。

 

今までの私の中の田口くんインプレッションは

このような薄っぺらいものでしかなく、KAT-TUNの中では全く注目などしていないお方でありました。(ファンの方非常に申し訳ございません…因みにKAT-TUNなら中丸くんとおかめちゃんに注目させていただいております!)

 

現eighterであるこの私ですが、KAT-TUNに足を踏み入れようとしたこともなくはないのです。ほんとにちょっとだけ、水たまりに足を入れてしまったようなレベルですのでとてもファンであったとは言えませんが。

水たまりの始まりはごくせんであったように思います。元メンバーである赤西仁くんと亀梨くんのシリーズを見て、私は二人の格好良さに気付きました。当時小学2年生であった私には、何の手を出すことも出来ず、というより手の出し方が分からず、手を出すつもりもなかったので、テレビを見る以外は特に何も活動はしていませんでした。

その後、野ブタでやまぴーにはまってしまい、一抹のNEWS期が訪れてしまいますが、有閑倶楽部で魅録にやられKAT-TUNに舞い戻ることに。(大袈裟)そしてついに大好きな魅録ビジュの赤西くんに突き動かされ、当時お金がなかった私はゲームを売り払ってQUEEN OF PIRATESを手に入れる運びとなったのです。もちろん今でも所持しています。ですが田口くんのことは全く目もくれていませんでした。ほんとすんません…

 

余計なことを話してしまいました。とにかく、ここまで長々と書いて全く名前が出てこないぐらい私は田口くんの事を見ていませんでした。脱退が決まった今、漸く田口くんを見つめた私はミーハーもいいところです。田口くんの事を何も知らないのに、それでも言葉にならない悲しみを覚えるなんてなんだか情けなささえ感じます。これがもし田口くんではなく錦戸くんであれば、私は私のようなやつのことを殴りたくなると思います。部外者は黙れ、と。ファンにしか分からない悲しみに同情など要らないのです。まさに同情するなら金をくれ状態です。家なき子です。田口くんファンはみんなきっと家なき子なんです。同情するなら田口くれ状態なんです。

家なき子はどうでも良くて、私は残るKAT-TUNの行く末が気になって仕方ありません。今後どう進んでいくのか。ですが部外者な私が首を突っ込むのはお門違いだと思っておりますので、これからも今までと変わらない具合にKAT-TUNを見守っていこうと思います。頑張れKAT-TUN、頑張れ田口くん。


つくづく私はJ事務所が、You&Jが好きだなあ…



ブログ開設

錦戸くんに関する私の思い出を書き残す為にブログをはじめました。あくまで自己満であり、他の誰かが得するとはとても言い難い内容ですので悪しからず。140文字以内では書き切れない事が多く、途切れて連投するより長文で書き切る方が効率が良いと考えました。


こまめに更新する方ではありません。でも錦戸くんの事は大好きです。大好きよりももっと上です。一周回って嫌いかもしれません。それは嘘です。毎日頭の片隅に錦戸くんが居て、暇な時に勝手に脳内の引き出しの中の彼が出てきてしまいます。それでもいつかはこの生活に終止符を打たなければいけないとずっと考えています。終止符を打たなければいけない、というよりはいつの間にか打ってしまっていたという状況になることを理想としています。それまでは彼のファンの一人として生きていこうと、そう決めて思い出残しを始めました。


今日も彼が大好きでした。

明日の彼も大好きです。